切手の豆知識

郵便の父、「前島密」をご紹介

投稿日:   更新日:2018年4月20日

一円切手の「前島密」

maejima (引用:さくら切手カタログ「普通切手一覧」)

本日は郵便制度の創設者、「前島密」さんをご紹介します!
中学校の歴史で習ったという方も多いのではないでしょうか。
肖像は1円切手の図案ともなっていますので、見覚えのあるお顔なのではと思います。


前島密は、実は小さい頃は医者になりたいと考えており、まさか郵便制度を創設するとは思ってもみなかったそう。
都会に出てきたのも、医学の勉強をする為でした。
そして前島密が18歳になったとき、かの有名なペリーの黒船が浦賀に来航。
この出来事がきっかけで、前島密はこれからの日本という国のことを考えるようになったのです。


名称を「切手」と定めたのは前島密


そして明治の2年、前島密は政府民部省で働き始めます。
そこでの大隈重信や伊藤博文との出会いが、を変えたといっても過言ではないですね。
前島密は、政府の郵便・手紙のやりとりなどを担当している部署に勤めることになりました。
ここで、従来の通信制度を大きく変える必要があると気付くのです。
当時の郵便制度は今のようにスピーディなものではなく、大変日数のかかるものでした。
緊急の際に知らせる手段もなく、また相手先に届くかどうかも怪しいものだったのです。

政府の書類を郵送でやり取りする際の金額が記載された書類を見て、前島密は
「一日に一度必ず郵便を送り出し、その際に政府の書類だけではなく民間人の手紙も共に運ぶ。そして郵便料金を民間からも徴収すると、財源も潤ううえ国の為になる」
と重い、その書類を目にした次の日には考えをまとめていました。

14285 (引用:上越市ホームページ「上越偉人探訪・前島密」)

「切手」や「ポスト」などの固有名詞を定めたのも前島密。
加えて郵便の発着の時間、料金の制定なども含めて発案しました。

2014年、普通切手の大幅なリニューアルが行われましたが、日本郵便の竹山栄太郎さんによると、
「一円切手の前島密だけは変えられない」とのこと。
前島密の活動があったからこそ、今の便利な郵便制度があるのです。


参考サイト


TOP